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僕のRoots


最近、想う事。「僕の今の仕事や性格・考え方ってどこから来たんだろう。」と‥。

 何故?自分でも自分の性格はかなり変わっているんだと思う。周りの方から見れば相当変わった人に見えているんだと思う。

 そう、考えると僕のRootsはどこにあるんだろうと考える。どこ…。やはり、祖母になるんだろうと思う。

祖母は高知県出身で、僕の尊敬する坂本龍馬の生誕の地でもある高知市にほど近い佐川町南谷という所だと言う。実際に高知の祖母の出里に言った事はないいがなんとなく高知の人=祖母のイメージがついている。その祖母であるが、僕が幼少の頃は宮崎市青島と言う所で風呂屋を営んでいた。数件先には種田山頭火(明治の高名な俳人)も泊ったと言う宿もあった。この祖母がまた、変り者で伝説の人でもある。数々の逸話を残し「風呂屋のトキちゃん」で近所でも有名だった人でもある。

祖母:桟 お時(かけはし おとき)

僕の人格の形成に深くかかわっている人である。僕はとにかくこの祖母が大好きでこの祖母も僕をこの上なく可愛がってくれた。この祖母、俗に言う「曲がった事が大嫌い」「竹を割ったような性格」でとにかく間違ったことは相手が誰だろうと容赦しない人でもあった。ただこの人の懐に入ると、とことん面倒を見てくれる人でもある。僕もこの祖母の伝説の数々を母からよく聞かされたものである。いくつか紹介すると

「重吉、外に出て勝負しろ!」事件

祖母がまだ、幼少の頃は田んぼの忙しかった時期は学校を休ませて田んぼの手伝いをしていた。祖母は父(重吉さん)に言われ手伝いの為に学校を休んでいた。そこに学校の先生が訪ねてきて重吉さんに学校を休んだ訳を聞いた時に「いや、お時が学校に行きたくないと。妹たちの世話をするから。」と言ったそうだ。祖母はそれを戸の影から聞いた。先生が帰った途端、祖母は・・・「重吉、先生にうそを言ったな!外に出て勝負しろ!」と竹の棒を持って庭で叫んでいたようだ。

「家に来たお客さんだから玄関から出て行かせてくれ」事件

これも母に聞いた話であるが、母が幼少の頃実家は風呂屋をしていた。夜、食事をしているとどこぞで物音がしたと言う事で見に行くと男がいたそうだ。祖母はその男を家に上げ食事を振る舞い「行くところが無ければ今夜、泊まって明日の朝に出ていけばいい。」と泊める事にした。それからしばらくして警察が自宅に来て「逃亡犯が逃げている。ここには来ていないか?」と尋ねてきた。祖母はピンと来たみたいだが知らないそぶり。祖父や母は怖くて警官に男=逃亡犯が家にいる事を告げた。当然、その男は捕まったようで騒ぎを起こしたくなかった警官は裏口から出ようとした。その時に祖母が言ったのが「泥棒だろうが何だろうが一旦、うちに来た人はお客さん。うちに来たお客さんは裏口からなんて出さない。ちゃんと玄関から出て行かせてくれ。」と警官に向かって言った。警官は渋々、玄関から男を連れて出て行った。別れ際、祖母は「ちゃんと、全うになってまたおいで。」と言ったそうである。

こんな祖母である。とにかく曲がった事が嫌いで、だれであろうと間違った事には文句を言う。また人の為に生きる人でもあった。毎朝、お寺さんにお詣りに行き困った人がいるとほおっておけない、信心深く仏様に仕える人であった。こんな人が祖母であるから祖父はとにかく優しい人であった。あまりしゃべらず寡黙に座っている人であった。そんな祖母の口癖が「自分の事は後回し。人の事を先にしなさい。」だった。この言葉が僕の頭に残っている。実際、祖母は周りの方の為、自分の子供達の為、孫の為に尽くしてくれた。僕が幼少の頃、湿疹で背中が痒くて寝れなかった時、一晩中祖母が掻いてくれた。そんな祖母の遺伝子が母に受け継がれ、母もまた、祖母と同じように困った人をほおっておけない人であり、曲がった事が大嫌いな人である。その遺伝子は今、僕に受け継がれている。僕もまた、何故か「困った人を見るとほおっておけない。」「自分の事より人の事を先に」がクセづいている。今の仕事をする上で考える事「人として困った人を見過ごせない。」スタンスはここから来ているのだと考える。これが僕のRootsであろう。まだまだ、僕のRootsは宮崎の父方の方にもあると思う。なんにしても僕の遺伝子を作ってくれている祖先はみな温かい人柄の人ばかりだと言う事。僕はそれを受け継いでいかなければいけないと思う。これからも・・・。

晩年、大好きだった祖母は大腿骨骨折を経て施設へと入所した。その際も母は兄弟と絶縁してまで祖母を自宅で看ると言い張っていたが、周りの兄弟の了解はもらえなかった。ほどなくして認知症を発症したが施設でも祖母は自分を貫き通し間違った事には断固として文句をいい、嫌な事は絶対にしない「風呂屋のトキちゃん」を貫いていた。その為、施設では問題児として扱われていた。僕はすでに鹿児島にいた為、数回しかお見舞いに行けなかったがお見舞いに行き、スタッフの話を聞くたび謝るとともに「祖母は間違ってはいないですよね。」と祖母を見て欲しい事を話していた。認知症により人の判別が難しくなった時にお見舞いに行った僕に「私にはね、可愛い孫がいるの。もう、目に入れてもいいくらい可愛い孫、その子は賢くて優しいのよ~。私が一番好きな孫なの」と延々と僕の自慢を僕に聞かせてくれた。そんな祖母も95歳で仏様の所に帰っていきました。「釈尼好善」と言う法名とともに。

 自分のRootsをこうして残しておくのも悪くない。


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